カシミヤの歴史
チベットの山岳で使用されていたカシミヤは、古い歴史の中でヨーロッパを始めとする世界各地へ広まっていきました。
現在では中国で生成されるカシミヤが最上質であるとされています。
カシミヤは古くからステータスシンボルの一つとされています。
華麗で、気持ちを豊かにさせてくれます。
この貴重な糸は昔、王、王妃、のみに使用が許されていたほか、
チベットの修道士が黙想の寒さから身を守るために1000年前から使用していました。
今日、カシミヤのセーターをすべての人々が身につける事ができると想像する事はこの時代には非常に難しい事でした。
カシミヤの起源ははっきりしていませんが、
15世紀、カシミア地方のサルタン王とザインウルアビディン、
“Abbar il Grande"と呼ばれていたチンギスハンの子孫が、
カシミヤ製のマフラーとショールを製造するために
トルキスタンの紡績工を宮廷に呼んだという伝説が残っています。
それ以降、手作業のカシミヤ織物はカシミヤ地方の主な産業となりました。
カシミヤのショール
カシミヤ製のショールは新郎から新婦へ結婚式の日に贈られていました。
「高価な贈り物は結婚指輪の間を通り抜けるもの」という言い伝えもあります。
当時、カシミヤ製ショールへの加工作業は、インドとチベットにまたがったラダック山岳から伝わる伝統的な方法で行われていました。
長く、骨の折れる加工作業は、一家族全員が冬の間すべてを作業に費やし、完全な手作業で生産されていました。粗悪な原材料の中からの高品質繊維の採取から始まり、紡績、織りへと作業が進められていきました。
1700年代、これらのカシミヤ製の衣類は、東インド会社の軍人と一般市民を通してイギリスで普及します。こうした経歴をへた後、西ヨーロッパ地域での使用が始まりました。こうした北インドでの起源より、カシミヤ製のショールは大きな流行へと発展していきました。
イギリスでの模倣生産は、設備は整っていたものの、オリジナルが持つ繊細な肌触りが実現できず、実験の繰り返しでした。
カシミヤのショールの流行は1800年代で衰退しましたが、カシミヤの純粋繊維は姿を消す事なく1920年代に使用が再開されました。
イギリス人、フランス人はカシミア山羊の輸入も試みましたが、ヨーロッパにおいても、アメリカ合衆国においても豊かすぎる放牧地、温和すぎる気候が品質の乏しい繊維を生む結果となり、カシミヤ繊維特有の質感を保つ事ができませんでした。
高品質の毛皮の基本条件は、やはり環境です。
冷たい風が吹く標高の高い牧場地、粗悪な厳しい環境で貴重な柔らかい被毛が生まれます。
この素材は、地上で最も近寄りがたい粗悪な環境で生まれるからこそ世界で最も貴重とされ、高い保温性を持ちます。人間の都合で、環境の異なる地へのカシミア山羊の移動を試みたとき、生き残る事はできたものの、彼らの最大の特徴であるsottovello(産毛)の上質さと柔軟性を失う結果となりました。
現在では中国が国際的に最も上質なカシミヤを生産する地域とされています。